(1)牧師に傷つけられた人へ
日本の教会の大半には、1人ないし2人、3人というところもありますが、牧師がいます。
牧師というのは本来、皆さんをお守りするよう神様から預からせていただいている立場です。
神様のお側でゆっくり身を横たえることができるように。
神様のお言葉を受け取れるように。
その為の訓練を受けています。
受けて…います…。
けれど、はっきり言って神学校はいい意味でも悪い意味でも、神様任せ&聖書任せな所があるんですね。
神学者の発言については学校全体でバックアップしてくれて修論までかけちゃうのに、信徒の嘆きに耳を傾けるための授業はほんの何コマかしかない(しかも選択授業)。
もちろん、
説教を通して、神様が信徒の嘆きを癒してくださるんだ!
教会での問題を立て直すのは何より説教だ!
牧師の仕事とは、牧会とは、つまり説教だ!
という考えが根本にあるのですが。
…教会で嫌な目にあって傷ついた信徒は、その教会での説教は全然胸に響かないのでは…ボソッ
例えば、群れでいじめられて逃げ出した羊が何処かへ歩いて行ってしまっているのを見ながら、羊飼いがそのほかの99匹にばかり話しかけていてもしょうがないというか。
その迷った羊のところまで話しに行ってあげないと。
何が言いたいかっていうと、説教って講壇の上でうやうやしくする語ることだけじゃない。
一人一人の心の状態に合わせて、神様のお言葉を届けることもまた必要なのです。
2へ続く